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Château La Couspaude

シャトー ラ クスポード

サンテミリオン特別階級に格付けされている、一流シャトー

中世の中ごろこのラ クスポードは「ラ クロワ ポート」と呼ばれていました。これはシャトーの西門近くにある十字架がその名の由来です。ラ クロワ ポートは本来、英国王の所有でしたが、100年戦争の終わりにフランス国王の所有になりました。16世紀、17世紀、ラ クロワ ポートはジュラード ド リブルヌによって管理されていました。この時まで、この農地にブドウの木が植えられていたとする証拠は見つかっていません。ラ クロワ ポートがぶどう畑として初めて売られたのは、1739年のことです。その後、18世紀、19世紀には所有者が何度も変わりました。
1908年、当時シャトー サンソネのオーナーであったジャン プロスペ ロバンがその隣の土地、ラ クスポードを購入、すぐに息子のアンドレ マルセルに譲渡しました。
経済恐慌や戦争が立て続けに起こるこの時代に、シャトーはかつてのポテンシャルを生かすことができずにいました。所有者一家の目線はむしろ、安定した量を生産でき、既に商業的にも成功を収めているシャトー サンソネに向いており、シャトー ラ クスポードにとっては非常に困難な時代でした。
シャトー ラ クスポードのそのような状況は1963年まで変わりませんでした。この年、アンドレ マルセルの娘、エディット ロバンがこの畑を受け継ぎました。夫のエティエンヌ オベールは2世紀にわたってワイン造りを行っている家の出身で、彼の助けがあり、また彼らの子供たちも加わって、シャトー ラ クスポードは新たな時代を迎えたのです。
オベール家が1963年にこのシャトーの所有者となったとき、長年蓄積された問題点はその畑や建物の状態によく表れていました。畑のブドウの木は歯抜け状態であり、建物はひどい状態でした。そして何よりの障害は、このシャトーは自身の醸造所を持っていなかったのです。
シャトー ラ クスポードのリニューアルは、2つのプロジェクトに分けて行われました。まずすぐに行ったのは畑。これはすぐに行う必要がありました。敷地の東側の一部の木(おそらくその樹齢は約1世紀!)を残して、80%の木が植え替えられました。2つ目のプロジェクトは80年代にようやく着手することができました。かれらは建物をきれいに修理し、設備が整った醸造所が1985年に出来上がりました。さらに素晴らしいのは石灰岩のカーヴとレセプションルームです。オベール家によって実行されたこの復興作業は1996年にその努力が報われることになりました。サンテミリオン グランクリュに名を連ねることになったのです。

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